ウィークリー・メッセージ 2016第26回
「イエスの道を、イエスとともに歩もう」
東讃ブロック協力司祭 村上
康助
キリストの弟子になりたければ教え聞くだけでは足りない、自分と共に十字架の道を歩むことを、主イエスは、はっきり求めています。弟子たちは、それを聞いて不安と恐れを感じ始めます。十字架の道、それは当時最も残酷な刑として知られていました。当時、人々はメシアを、自分たちを苦難から解放するかたと考えていたので、そのメシアが十字架を担って苦難の道を歩むとは考えられないことでした。ですからペトロはイエスをわきへ引き寄せ「主よ、とんでもないことです。そんなことはありません」と諌め、「サタン、引き下がれ。この誘惑者。あなたの考えは神のものではなく、人間のものである」と厳しく叱責されます(マタイ16.23)。
十字架の道は、私たち人類を救う父なる神の意図された道です。メシアは受難の道を歩むべき者、そう定められていました。私たちも、この人生の旅路を、しっかり十字架を背負って、主イエスのあとに従って行くように召されています。
主イエスは、神に仕える道を、私たちに示すために、その先頭を歩まれたのです。ところで私たちの十字架はどこにあるのでしょう。イエスが御父のみ旨を徹底的に果たされたように、私たちも御父のみ旨に従って生きていくとき、毎日、十字架を見つけるでしょう。日々の生活の務めを信仰と愛の心で果たしていくとき、私たちはイエスの道をイエスと共に歩むことになるのです。
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