平和ミサ説教
2007年8月12日
於:桜町教会
今週色々なことがありまして今日の話を準備する事ができませんでしたので,先週広島の平和行進と平和のミサでの説教をもう一回繰り返すことをお許し下さい。ただ,今回は行列していませんので,意味がよく分からないかも知れませんがそれなりに理解して下されば良いと願っております。
1613年10月7日,高橋主水アドリアーノとその妻ヨハンナ,林田助右衛門レオとその妻マルタ,11才の息子ヤコブとその姉17才のマグダレーナ,武富勘右衛門とその息子27才のパウロ,これらの人々は島原半島の有馬の城下町から歩いて処刑場まで行列しました。彼らの周りには人々が集まり,約1.6キロの道を一緒に歩いたのでした。歌を歌い祈りを唱え処刑場まで一緒に歩いていきました。処刑場は海岸にあり,処刑場に着く前に小さな浅瀬があり彼らは足を濡らして渡っていきました。
1619年10月6日,京都の牢屋から男子26名,女子26名のキリシタンが引き出されました。52名の内11名は15歳以下の子供でした。彼らは見せしめのために京都市内を引き回されました。牢屋から出て戻り橋をとおり,それから六条河原に向かいました。その間約3時間余りだったでしょうか,昼過ぎに処刑場に着きました。キリシタンたちは晴れ着を着ていて,大声で讃美の歌を歌って山車から降りました。
1623年12月4日,東京は小伝馬町の牢屋から3つのグループ50人が歩き始めました。第一のグループはデ・アンジェリス神父のグループであり,彼は馬に乗っていました。第二はフランシスコ会のガルベス神父のグループで,彼も馬に乗っていました。他の人は歩いてついていきます。第三のグループはヨハネ原主水で彼は手足の指を切られていたので歩くことができないまま,やはり馬に乗っていました。周りを刑吏が囲み,むき出しの槍が光を浴びてきらきらと光っていました。江戸の目抜き通り,小伝馬町から室町3丁目,日本橋,京橋,銀座,新橋,浜松町,芝,札の辻と,現代でも東京の華やかな町の中心です。札の辻は品川の宿にあり,東海道を下る人が必ず通る場所でした。必ず通る場所で処刑をしたことになります。彼らは聖歌を歌い,神父たちは馬上から彼らを励まして,行列をしました。
時代がもう少し下ります。1627年2月28日,パウロ内堀を中心にした16名のキリシタンが長崎桜町の牢屋を出て山道をかごに乗せられて雲仙の地獄へと連れて行かれました。内堀は一週間前,息子たちが目の前で島原の海に沈められているのを目撃したばかりです。寒くて長い登坂の道,誰もいない山道を彼らは聖歌を歌いながら進んでいきました。あるものは辞世の句を作り,あるものは黙想にふけりました。困難を極めた道中の後は,硫黄の湯漬けが待っている行列でした。
私は,4つのキリシタンたちの死の行進を紹介しました。その行進の間,彼らの周りにいた人々の反応はどうだったのでしょう。お上の命令に従わないのだからその死も仕方がない。西洋の宗教にたぶらかされた輩,かわいそうにあんな女子供まで死出の道連れにするなんて,こんなにまでしないといけない宗教なのだろうか。これだから宗教は嫌いだ。何の抗議もしないでただ祈っているなんて不気味だ。こんな声が聞こえるような気がします。私たちも天の国に向かって旅をしています。行進中,私たちの周りに聞こえる声は今言ったことと似たようなものではないでしょうか。400年前,死の行進をした人たちは,3つのことを人々に見せておりました。
第1番目。彼らは決して譲ることができない信念を持っていたということです。国家であっても主君であっても,こと自分の信念においては譲ることができないと信じていた人々でした。細川家の家臣であった小笠原玄也は,1614年に禁教令が出されたときに主君の細川忠興に一通の書簡を差し出しました。「転ばざる書き物」と言われて現在も熊本の図書館に保管されております。その中でこういうことを言っております。
「公方様,忠興様,なんと仰せ出され候とも,転びまじく候」
徳川将軍がなんと言っても,私の主君である細川忠興様がなんと言っても,どんなことがあっても,"転びまじく候"「私は宗教を変えることができません。」と述べたのです。"後日のためにかくのごとく申し上げ候。"すなわち,「今からも同じことを言い続けるので,今手紙に書いて渡しておきます。」という不退転の決意を示しているのです。私たちの天の国への行進は,多分に観光的な,それにちょっぴり信仰が混じったそんな行進かも知れません。確固とした信念で自分の宗教を考えた行進とは言えないようです。自分の生活の二の次にある信仰というのが現状ではないでしょうか。
2つ目です。これらの殉教者は無抵抗の抵抗を示しました。非暴力をキリシタンたちは貫きました。黙々と歩いていきます。私たちの平和への運動は非暴力に貫かれないといけません。決して誰かを悪し様に罵ったり暴れたりは致しません。彼らは人々が不気味に思うぐらい秩序だった行列をしました。
3番目です。"後生を大事にする。"後生とは,永遠のいのちのことです。私たちはこの世に生きていますが,いつまでも生きるわけではない。必ずいつかはこのいのちは終わります。しかし,終わったその時に新しいいのちが始まるのです。あとから「千の風」が歌われますが,死んでも生きているというのがそこに歌われるメッセージです。私たちは信仰の旅をしています。変転きわまりない旅なのです。自分の人生は自分の思うとおりにはならないことを,私たちは経験で知っています。今日は振り返って考えてみる良い日です。この世のことが人生の全てではないということを,しっかりと分からないといけません。
カトリック教会は今年188日本殉教者を福者として公認しました。今日平和旬間のミサの中で,私たちも殉教者にならって自分の信仰を公言しつつ,世界の平和に向かって行進するという決意を新たにいたしましょう。
※司教様チェック済み