ウィークリー・メッセージ 2015第2回
「はるかな旅 −星を目指して−」
ブラザー 八木 信彦
私の育った実家は、徳島本線(徳島−阿波池田)の沿線にありました。幼い頃から列車(当時は蒸気機関車)をよく見て大きくなったせいか鉄道ファンになり、それがきっかけで旅がとても好きになりました。今でも「趣味は?」と聞かれると、必ず旅と答えています。皆と一緒に行く旅もいいのですが、基本的には一人旅が好きなようです。
最近気が付いたことですが、私の小学校へ通った通学路は、阿波から伊予へ通じる街道筋でした。そのためか、街道に非常に親しみを感じ、名古屋に住んでいた時に、四国から名古屋への車での行き帰りの途中、東海道や中山道の宿場町や街道筋をよく旅しました。今でこそ、東京大阪間は新幹線のぞみで数時間ですが、当時は何日間かかっただろう、どんな危険が伴っていたのだろう、逆にどんな出会いがあっただろうか…等々、当時の旅人になった気分に浸りながら、その街道や宿場町をよく散歩したものでした。
「人生という旅路において、一つの到達点は、すぐ次の出発点となる」という言葉に出会ったことがあります。ホモ・サピエンス〈知恵ある人〉と呼ばれる現代人は、他にもいろいろ、人間を特徴づける名で呼ばれてまいますが、その一つに、ホモ・ヴィアトール〈旅する人〉があるそうです。それは、私たちの人生は一つの旅であること、最後の目的地に到達するまでは、一つの到達点は、すぐに、次の出発点になることを教えてくれる呼び名でもあります。
今日祝う主の公現の祭日は、救い主の誕生を示す星の光に導かれて、遠い東の国から来た占星術の学者たちの姿を通して、新年を迎えた私たちの旅路の進むべき進路を示しているかのようです。私たちの信仰は、イエス・キリストからの光を求める旅だと言えます。私たちも、その光を求める旅に旅立ちます。聖書には、そのような旅立ちをした私たちの先輩が、この学者たちに限らず、たくさん登場します。
神のことばを受け入れ、生まれ故郷と父の家を離れて、神が示す地へと旅立ったアブラハム…、彼は信仰の父と称えられています。また、神の力によってエジプトの地から脱出することが出来た人々は、その旅立ちが約束の地を目指す、神の救いによる過越しの旅であることを理解します。
福音記者ルカも、旅の記述を多く用いて物語に流れを作っています。彼にとって旅物語は大きな重要性を持っていたようです。彼は、イエスの生涯を旅人として描いています。イエスの少年時、家族と一緒に上京したナザレからエルサレムまでの旅路。それは少年時だけではなく、公生活においても弟子たちと共にエルサレムに上っていきます。そしてその旅路は十字架への道、さらに天の父のもとに昇る旅路に続いていきます。
イエスの十字架を超えて、復活の光を体験した弟子たちは、イエスのみ跡に従う道を旅立つこととなります。ルカは使徒言行録の中で、弟子たちが聖霊を受け、力強く異邦人にも神の国を伝える力を受けたこと、そしてエルサレムから全世界へと宣教が広がっていったこと、パウロの数回の伝道旅行も記しています。パウロを初めとする最初の教会の宣教者たちは、イエスによってもたらされた福音の光を、まだ見ぬ地に住む全ての人々に届けることを自分たちの使命と受け止め、いのちをかけて旅立って行きました。
信仰を生きるということは、自分が目指すもの、信じるものに向かって、自分のいのちをそれにかけて旅立つということです。占星術の学者たちは、幼子イエス−彼らの人生を照らす偉大な星−に出会うために、危険を伴い、それ相応の費用を負担してでも旅立ちました。どんなに高価な贈り物−黄金、乳香、没薬−を献げても惜しくない、どんな困難を押してでも贈り物を届けに行く価値があると考え理解したからです。
それは、この世の価値基準に縛られた生き方からの解放の旅立ちを意味しています。この世の価値基準から、愛の価値基準への移行の旅立ちです。この世の幸せを手に入れることができるかどうかで、私たちの人生の価値が決まるのではありません。神や自然、他者(ひと)、自分自身をいかに大事にし愛するかによって、私たちの存在そのものの意味や理由が自ずとわき上がってきます。そのように愛に生きるとき、自分でこの旅立ちを決心したかのようで、実は神さまから呼ばれ招待されていたことに気付き始めます。なので、たとえこの世の幸せを全く感じられないようなときにでも、神さまからの恵みと受け止め、喜びに満たされ、人生の価値が深まっていきます。
幼子イエスの上に輝く星の光は、占星術の学者たちの後に続いて、その光を求めて旅立った、たくさんの人々を照らし、私たちのもとにまで差し込みます。この新しい年最初の日曜日「主の公現」の日に当たって、私たちも心を新たに、その光が指し示す生き方を目指して歩む信仰の旅人として歩み続けることができたら…、と願わずにはいられません。
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