ウィークリー・メッセージ 2015第7回
「年間第5主日」
坂出教会担当司祭 ホルヘ・ソーサ
この年間第5週では、聖パウロによる次の言葉があります。
「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」1コリント9、16
このみ言葉に説明はいりません。福音を告げ知らせることは、弟子や洗礼を受けた方々に与えられた1番大切な使命です。
日本の殉教者パウロ三木の言葉もよくわかります。キリストの愛が力となって彼らは力強く宣教しました。この信仰の英雄の多くは哲学者ではなく、雄弁術を学んでいたわけでもないのに、彼らは深いところまで神に愛されていることを感じたからこそ、キリストと同じ愛をもって、人々に良い知らせ(エヴァンゲリオン)を述べ伝えることができたのです。また、もう一つのパウロの言葉を引用します。
「
キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」2コリント5、14―15
パウロによれば、キリストが先にわたしたちを愛してくださり、死んで復活することは良い知らせです。なぜキリストが先に私たちを愛してくれたのか?なぜなら私たちは罪の力の働きで愛することができません。これを理解することは簡単ですが、難しいのは自分を愛してくれない人と接することです。いくらボランティアをしても、いくら綺麗な服を着ても、相手に悪く接するならば、自分がどれほど貧しく寂しいかが分かると思います。しかし、十字架に付けられたキリストと殉教者たちを見上げることは、その無償の愛を見ることです。それは、私たちの信仰を強める力を持っています。殉教者たちは自分の力ではなくイエス・キリストの許しを信じていました。だから侮辱された時、プライドを傷付けられた時、物を取られた時、そして最後に命を取られた時ですら彼らは愛することができました。まず最初に愛されたから彼らも愛することができました。愛することは永遠の命であって、キリストご自身が貧しい人や罪人に与えた贈り物です。
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