ウィークリー・メッセージ 201516

 

復活節第2主日

 

 中島町教会担当司祭 アントニサミー・イルダラヤージ

 様、ご復活おめでとうございます。昨年11月29日から12月06日までインドへ巡礼に行きました。日本から14人のグループで聖フランシスコサビエルのところと聖トマスのところです。聖トマスが殺された場所と葬られている場所を見ることが出来て良かったと思います。
 「私の主、私の神よ」これが聖トマスの答えです。イエスが復活されて弟子たちの前に現れたとき、トマスはそこにいなかった。どこに行っていたのでしょう。夢が破れてしまいました。希望の人が死んでしまいました。これから一体どうしたらいいのか。悲しみと絶望で一人さまよっていたでしょう。だから家に帰り着いた時、仲間たちが「私たちはイエスを見た」と言っても信じられませんでした。なぜなら自分の目で見てないからです。

 聖トマスのことを「疑い深い人」と思うかもしれません。でも、本当は違います。イエスがラザロを生き返らせる場面を思い出してください。イエスがラザロのところに行けば大変なことになるとみんな知っていました。ラザロが死んだから「ラザロのところに行こう」とイエスが言ったとき、「ディディモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに、私たちも行って、一緒に死のうではないか」と言っています。トマスはイエスのことを信じていたからイエスと一緒に行こうと云ったのです。

 イエスが復活されて弟子たちに現れても、まだ理解できなかった弟子がいたかもしれません。でも、イエスと出会ったトマスはみんなの前で自分の信仰をはっきり述べました。「私の主、私の神よ。」と。

 私たちが知識を身につけるとき、大体三つの方法でそれを得ていると思います。それは自分の体験から、これまでの体験から推論したり想像したりして、そこから信じるのです。この三つの方法を具体的にやってみましょう。
ここにバケツがあります。この中に水は入っているでしょうか。
 *自分の手を入れてみる…体験です。
 *バケツにコインを投げ入れる…音によって推論する。
 *知っている人に聞く…信じることです。

 私たちの知識はほとんどが誰かに聞いて、読んで、信じて学んだことだと思います。皆さんの中で世界一周した人はいますか。たぶんいないでしょう。でも、北極は寒い所と知っています。アフリカのコンゴにはゴリラがいるけれど数が減ってきている。世界で人口が一番多いのは中国で二番目がインドだと知っています。ヨーロッパに行ってもアメリカに行っても全部を見ることはできません。でも、聞いて、読んで、信じています。

 宗教的な知識も同じように三つの方法から学んでいると思います。体験、推論、信じることです。弟子たちが体験したことを信じて私たちは今ここに集まっています。

 イエスが十字架につけられて、落胆し、怖れ、絶望した弟子たちの前に復活の日曜日、イエスは現れ「あなたたちに平和があるように」と言われました。そして、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言いました。このイエスと出会って弟子たちは変わりました。イエスから聞いたこと、見たこと、また経験したことを信じて人々に伝えました。我々の宗教的な知識の大半は信じることでしょう。

 トマスのように、誰もが信仰の道に呼ばれています。聖書は私たちのものと信じています。聖書が書かれた目的は「イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるため」です。今日、救い主・イエスは私たち一人ひとりに呼びかけています。「信じないものではなく、信じる者になりなさい」と。聖トマスはイエスを見て信じ、はっきり宣言しました。「私の主、私の神よ」と。

 皆さんもはっきり言えるでしょうか。「私の主、私の神よ」と。

 

 

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