ウィークリー・メッセージ 2015第17回
「復活節第3主日」
主イエス・キリストが復活されてからいろいろな仕方で弟子たちを始め多くの人たちに現れました。エンマウスへの途中二人の弟子に現れたのですが、彼らはそれが復活したイエスだと分かりませんでした。「彼らと食卓に時、イエスはパンを取り、祝福をとなえ、それを裂き、彼らに与えられました。二人の目が開きそれがイエスだと悟った時、イエスは彼らの前から姿を消された。」(ルカ24;30-31)
聖マルチン病院院長 井原彰一
急に姿を消すというのは私たちにとって不思議に思われます。また扉が閉まっているのに、部屋の中に入ってきた(ヨハネ20;26)とか、トマスに現れてあなたの指を出して私の手を見なさい、手を出して私の脇に置きなさい(ヨハネ20;27)と言ったのです。更に不思議なことは「キリストは私たちの罪のために死に、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、ケファに現れ、また十二人に現れ、そののち五百人に同時に出現された。」(コリント一15;3-6)とあります。五百人に同時に現れることなどどうやってできるのでしょうか。ある人が同時に高松と松山にいることなどできるでしょうか?
私たちには絶対に不可能なことです。しかしながらキリストはアブラハムが存在する以前から存在した方であり、復活して栄光の体を持った方であります。イエス・キリストの体は私たちのように時間と空間に限定された体ではないのです。
実際のところ、今年の四月四日の夜7時からのミサの中で四国のそれぞれの教会で、復活したイエス・キリストは大勢の信者に同時に現れたのです。その現実はまさに聖書に記されている現実と全く同じなのです。ただ違うのは、イエスの存在の仕方が人間の眼から見たらより神秘的になっただけなのです。そしてこのイエスは日本中で、そして世界中で実に何億人の人たちに同時に現れたのです。信仰の眼でこの復活したイエスと出会い、死に打ち勝ったイエスと出会うことができたのです。更に驚くことに、聖書の中では弟子たちは復活してイエスに出会ったのですが、今の私たちにとってはこの復活したイエスは実に、私たち一人一人の中に入って下さるのです。
何十人とまとめてではなく、一人一人の中に入って下さるのです。
神のペルソナが一人一人の人間の中に入り、私たちの存在を最も深い意味でかけがえのないものとして下さるのです。神さまの私たち一人一人への愛はどれほどに深淵なものか想像も尽きません。
ドミニコ会 井原彰一