ウィークリー・メッセージ 2015第23回
「三位一体の日 平和を求めて」
高松教区司教 諏訪
栄治郎
もう二度と戦争はしないと平和憲法を制定し70年を歩んできたこの国は、いま戦闘可能な国になろうとしています。わが国の平和と安全を守るために、いざというときは戦闘地域において同盟国の後方支援の任務に当たるそうです。攻撃された場合、自衛隊は武器を使い速やかに撤退するのだそうです。素人であるわたしが考えても戦闘の常識は後方支援(武器弾薬食料)部隊をまず叩くのです。自国の利益と権力のために、多くのルールは破棄され、その一発の銃弾が恐怖の連鎖を生み世界を憎しみの渦に陥れるのです。多くの若者たちが戦地に送られ、狂気の中で人間の尊厳を奪い奪われ破壊されていく悲劇をまた繰り返そうとしています。国と国とが対話を選び取る世界であることを心から祈ります。
この緊迫した情勢の中で、いま改めて教会が「キリスト」であることの意味を確認せねばなりません。エルサレムへ向かう途上イエスは「私が去るのはいいことだ。助け主を使わす。世の終わりまでも共にいる。平安あれ。」と弟子たちに約束されました。不安と恐れ、後ろめたさにあったペトロに、復活の主は教会を委託されます「羊を牧せよ」「羊を牧せよ」「羊を牧せよ」と。聖霊の恵みの激しいあの体験(聖霊降臨)は傷ついた世界の回復を願う父なる神の計画でした。
教会がキリストの霊に満たされて「キリスト」になる。その教会は自分のためではなく、神の創られた大地とそこに生きる命あるすべてのものへ、愛の広がりをもって奉仕する「キリスト」となるためでした。
父ある神は おん子であるキリストに「この世の再生」を託したのです。聖霊とは父と子の「無限の愛と交わり」のことであり、その聖霊は教会を満たし、信じる人々を一つ(キリスト)にするのです。父と子と聖霊は教会を必要とするのです。しかし2000年の教会の歴史はキリストの愛の広がりを十分に生き得ない罪人の教会、旅する教会であることを常に自覚しています。教会の歴史は聖霊の導きを識別し勇気を持ってその声に聴き従う「改革の歴史」です。教会はこれまで歩んだ過去の歴史をふり返り、将来の平和に向けて祈りのうちに責任を担おうとしています。教会は三位一体の神と対話し招かれ、導かれている教会なのです。
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