ウィークリー・メッセージ 2015第33回
「心の食べ物 -天からのパン、心の食べ物-」
善通寺教会担当司祭 ネルソン・ウイリアム
若かりし頃のわたしは、多くの人と同様、その食べ物が身体にどのような悪影響を与えるかなど考えもせず、欲するままに何でも食べていました。しかし、これもまた多くの人と同様、年を重ねるにつれ、何を食べるかについて、もっと気を使うようになってきました。これは脂肪分が多いとか塩分が多いとか、これには悪玉コレステロールが入っているとか、善玉が入っているとかなどなど、スーパーで食品ラベルを眺める時間がどんどん長くなってきています。前回の健康診断の時に、主治医から、将来、重大な病気にかからないための正しい食生活の重要性について、いろいろとお話を伺いました。おそらく皆さんの多くも、同じ様な経験をされたことがあるでしょうし、正しい食生活の重要性について考えていらっしゃることでしょう。
しかしながら、心の食べ物について考えたことのある方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。食べた物によってわたしたちの身体が作られるのと同様に、わたしたちの心も、与えられた食べ物に大きく影響されるのです。
では、あなたは、心に何を食べさせますか。もし、憤りや非難という食事を与えれば、心が不安や怒りに支配されるようになるのも不思議なことではないでしょう。また、うぬぼれや自分はかわいそうだという名の食べ物を与えていれば、心が神経質になり、過敏になるのも仕方ありません。いつもジャンクフードばかり食べたり、テレビがつきっぱなしだったり、どこへ行っても周りが騒がしかったり、四六時中スマートフォンやi
Padを触っていたり。そのような状態にさらされ続ければ、心がびくびく、そわそわして集中できなくなるのも納得できるはずです。
逆にもし、心に愛や忍耐、自制や思いやり、許しなどの良い食事を与えれば、おそらく、心の状態が健康で、穏やかで安らいで、周りにあふれている美しさや喜びに気づくことができるようになり、まるで朝露の如くにわたしたちを包んでいる、小さくて静かな恵みを感じることができるでしょう。
福音の中でイエス様は、わたしたちの心の食べ物として、もう1つの食べ物の可能性を示して下さっています。即ちそれは、イエス様ご自身です。「わたしは、天から下って来たパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」このように、イエス様はわたしたちの心の食べ物になりたいのです。イエス様ご自身こそ、わたしたちの心が生きていくために必要な食べ物なのです。
では、いったいどこで、この食べ物を見つけることができるのでしょう。イエス様は、どこにこの食べ物をご用意して下さっているのでしょう。その場所の1つは、言うまでもなく、ミサの聖体拝領です。しかし、場所はそこだけではありません。他にもあるのです。例えば聖書の中にも、自然の中にも、兄弟、姉妹たちの中にだってその場所は用意されているのです。
わたしたち多くの者の心は、充実した栄養のある食べ物に飢えています。わたしたちのために天から下ったパン、イエスを試して見たらいかがでしょうか。
<西川助祭の記事「年間第18主日」に行く | カンバラ神父の記事「永遠の命の言葉」に行く> |