ウィークリー・メッセージ 201533

 

永遠の命の言葉」

 

 丸亀教会担当司祭 カンバラ・デシデリオ        

 ハネによる福音書第6章は5回の日曜日を費し、今日で終わります。その間、キリストは大変すばらしい教えをされているのに。弟子たちは離れていきました。私は大変残念だと思います。私たちは、神の子キリストを真に信じる者になりましょう。信じることは、神の業です。心をつくして従いましょう。
その心でヨハネ第6章について考えてみましょう。

1. 年間第17主日 (7月26日) ヨハネ 6,1−15
  一人ひとり信仰者は、イエスの行った沢山の教訓・奇跡を神の御心としていただき、信者としての連帯と分かち合いの意識を高めながら、力いっぱい喜びをいただくことに努力する。

2. 年間第18主日 (8月2日) ヨハネ 6,24−35
  群衆は、イエスや弟子のいなくなったことを知ると湖の向こう岸まで、さがしに来た。イエスたちを見つけて 「ラビ、いつここにおいでになったのですか。」イエスは、「はっきり言っておく。パンを食べて満足したではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物の為に働きなさい。」
神から、いただいたものは、感謝して受けて、他のひとびとと分かち合う。神から受けたご聖体は、神の恵みを他の貧しい人に分け与える。人間は誰でも物質を求める。キリストは人間よりもっと深い心の奥義を求めます。
  そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたら良いでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになったものを信じること、それが神の業である。」    

この二節が(28−29) ヨハネの6章のなかで一番大切ではないでしょうか。信仰の問題です。キリストを信じて、又キリストとわたしたちは、仲よくならなければならない。
心の糧をいただき、信じること 【信仰】、神の業です。そして、「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くことがない。」

3. 年間19主日 (8月9日)ヨハネ 6,41−51
  ユダヤ人達は、「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」と言った。(42)彼らは、イエスがヨセフの息子だと思っていたが、イエスは、ヨセフの子ではなく神の子である。私達は、物事の外側だけを見るのではなく、信仰を通して内側の本質も見抜いて行かなければならない。「はっきり言っておく。信じるものは永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。」(47−48)

4. 年間20主日 (8月16日) ヨハネ 6,51−58
イエスは言われた「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものはいつもわたしの内におり、わたしもまたいつもそのひとのうちにいる。」(51.53−56)

5. 年間21主日 (2015年8月23日) ヨハネ 6,60−69 
多くの弟子たちは、これを聞いて、またつぶやいた。イエスは言われました。(あなた方はこのことにつまずくのかそれでは人の子が、もといた所に上るのを見るならば・・・・。いのちを与えるのは ”霊" である。  
  しかし、あなたがたのうちには信じないものたちもいる。 こういうわけで、わたしはあながたに『父からお許しがなければ、誰もわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。

「主よ、わたしたちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」


  わたしたちが十二人使徒たちと同じに答えることが出来ますように祈ります。改めて心からキリストが神であることを信じましょう。

2015年8月20日   丸亀教会     カンバラ・デシデリオ

 

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