ウィークリー・メッセージ 20161

 

神の母聖マリア」

 

 高松教区 司教 諏訪 榮治郎        

 年あけましておめでとうございます。・・今年はどんな年になるのでしょうか?

 教皇フランシスコは この年を「いつくしみの特別聖年」と制定され、同時に、わたしたち人類がどんな世界に生きているのか知るべきであると「ラウダト・シ(神への賛美)」を世に出されました。そもそも「聖年」とは「ヨベルの年」と旧約の時代から呼ばれ、人間がその尊厳を奪われているのなら尊厳を取り戻せるように「解放の年」として定められたのです。

全てのものが神の愛から生まれ出たものであるが故、大地をはじめ、全てのものは神のものであることを覚えよ、との掟です。奴隷を解放せよ、大地の実りは公平に分かち合え・・などなどです。(レビ記25章)

 教皇は「ラウダト・シ(神への賛美)」において・今この星に何が起こっているのか。

・世界を創ったのは神である。

・人間は何をしてしまったのか。

・どのように問題に取り組んだら良いのか。

・どこに向かっていけばよいのか。

・新しい生き方 を始めねばならないと現代世界に切実に語られます。

40年ほど前、月面探査「アポロ計画」がありました。月面探査を終えたパイロットたちが地球への帰還中、宇宙船の窓から小さく地球が見えた。それは衝撃的体験、神との出会いだったと語ってくれました。地球それは神の愛の結晶、愛に満ちた家であると確信した。そこに生命の進化と人間の生きる意味があると見えた、それが神の計画とわかった。人間の意識と神の意識は調和しておりそれは一体であり、神の創造のプロセスとして見えた。大きな喜びが一気に打ち寄せてきた。

しかし地上にある人間の現実の愚かさ、エゴ 欲望 苦悩 不安が頭をよぎり、一挙に悲しみと幻滅に襲われた・・。人類が集団で崖から落ちる破滅の状況が胸を締め付けた・・と述懐しています。

人間が、国が、自分の利益を考えている限り「平和」は来ないでしょう。

 弱い私たちですがこの一年を「自己を忘れ他者のために生きる」回心の1年としたいと強く思います。この一年を捧げ、新しい生き方のはじめとなりますように祈り続けましょう。   

高松教区司教 諏訪栄治郎
    

           

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