ウィークリー・メッセージ 2016第2回
「主の公現」
鳴門教会担当司祭 乾
盛夫
主の公現を記念し祝うことは、降誕節の大事なメッセージを引き継いでいます。
先ず、マリアから生まれた御子は「イエス」と名付けられた。この名は、人間を罪から救う者であり、待望のメシアであるという経緯です。
その上に今日の福音です。東の国から博士たちが「ヤコブの星」に、ユダヤの新しい王の誕生のしるしを読み取り、礼拝を捧げるためにユダヤの都、エルザレムへ旅をして来たのです。「イスラエルを牧する王」が何処に生まれたのか、ヘロデ王にじきじき尋ねたところは博士たちの普通の流儀であったかと思います。
それを聞いたヘロデ王は落ち着きを失ったのも当然でしょう。これを聞いた都エルザレムの人々も皆動揺したそうです。
王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めてメシアの生まれる筈の地は何処かを問いただしたのです。それがユダの地、ベツレヘムだったのです。「ベツレヘム、お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」との答えは博士たちには心の大きな平和への期待が強められたでしょう。しかしヘロデ王には全く反対の隠せない心の争いに捕らわれたのでした。その幼子を亡き者にするはかりごとの準備を計ったのでした。
博士たちは、同じ星に導かれてベツレヘムに着き、マリアとともにいる幼子を拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げて、もうヘロデには教えずに自分お国に帰っていったのです。
こうして、御降誕のメッセージ、メシアはイスラエルの民をはじめとして、メシアを待ち望む心のあるすべての民にお生まれになったのだということを祝うのです。神の慈しみのみ顔である、人となられた御子を通して、神に向かって歩む人のまことの姿を与えて下さった神に感謝し、奉仕の喜びを献げましょう。
鳴門教会 乾 盛夫
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