ウィークリー・メッセージ 2016第9回
「四旬節第2主日」
坂出教会担当司祭
ホルヘ・ソーザ
今日は四旬節の第2日曜日に当たります。福音は、イエス・キリストが変容されたことを記しています。
イエス様は十字架の上でご自分を捧げるために、エルサレムへ向かって歩きます。
でも、弟子たちは何も知らない。弟子たちが十字架の試練に負けないように、彼らの目の前でイエス様は祈ながら顔と服も真っ白くなって輝いたのです。
弟子たちは皆、田舎者です。イエスを信じたが、彼らは現実のイスラエルの救いを熱心に待っていました。けれども、イエス様の救いと弟子たちの救いは全くちがっています。
イエス様の救いは大祭司と町の偉い人々の反感、ついには最後の十字架の死を通して、隠された神様の計画とその救いを実現することでした。弟子たちの救いの想いではなく、謙遜と従順をもって神様のみ旨に従うことによる救いでした。
人にとって愚かさそのものである十字架の救いは神様の知恵です、それは普通のひとにとっては異常なことです。
今の私たちもあの時の弟子たちと同じではいけないのです。私たちも頭だけで理解しても、神様の知恵を賜物として受け入れなければ十字架をも退けることになります。
この四旬節第2主日の第二朗読で聖パウロはそれを述べています。
「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」、「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」と。
私たちは愚かとも思える十字架の妨げを乗り越えることができるように、イエス様の言葉に耳を傾ける必要があります。
そして今日の福音は最後に、こう書いています。「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。」(ルカ9:34-35)
キリストの言葉は福音です。字の如く良い知らせです。イエス様は律法の後ろ盾ではなく福音的権威をもって教えています。ですから、自分の耳に届くイエス様の言葉は律法から解放される権威を持った方の言葉として、よく注意して聞きましょう。
ヨハネ福音で、イエス様は復活された後、弱い弟子たちに現れてこう言われています。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす』」(ヨハネ21、19−21)
今年、慈しみの特別聖年にあたり、今、聴いたキリストの平和、キリストの赦しを受けましょう、キリストの傷は私たちの罪による傷をも治すでしょう。私は日本語を勉強した時、日本語をいつも聞く必要があると教えられました。キリストの弟子になるためにも同じです。聖書の言葉をいつも聞くことです。信仰は聴くことから生まれます。
主の平和
ホルヘ神父
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