ウィークリー・メッセージ 2016第10回
「一番大切なこと」
善通寺教会担当司祭
ネルソン・ウイリアム
事故が突然起きる。予想もしていなかった病。親しい人の死。これらのできごとは、今日の福音の話のように、わたしたちをある大事な事実と出会わせる。それはつまり、授かっている人生の時間が限られているということである。間もないか、しばらくしてからなのか、いつかわたしたち皆の人生の旅が終わります。
それなら、今どうすればいいでしょうか。一番大事なことは、なんでしょうか。
忙しいことは、現代生活の普通の一面のことでしょう。子どもたちから年配の方々まで、誰もが忙しそうです。受洗者の最後の準備の時期、信者の回心の時期、人間が我に戻る時期の四旬節に、毎日の忙しさの中にいるわたしたちに課題としてやってきます。一番大切なことは、なんでしょうか。
わたしたちはすべきこと、したいことがたくさんあります。いくら努力しても毎日が足りないと感じています。24時間もあるのにすべきこと、したいことがまだまだたくさん残ってしまいます。
どうしようかと決めるためにいろいろと悩むでしょう。一番大事なこと、本当にすべきこととは、なんでしょうか。見分けるために、どうすれば良いでしょうか。
選択するために、どうすれば良いでしょうか。一番大事なことは、なんでしょう。
ある日、一人がイエス様に「先生、律法の中で、どの掟がもっとも重要でしょうか」と尋ねました。わたしたちの今日の質問と全く同じです。つまり一番大事なことは何ですか。
イエス様の返事はわたしたちを驚かせます。「神を愛し、隣人を愛しなさい。完全に。」
わたしたちの考えとイエス様の言うことは違うかもしれません。イエスの考えでは幸せは何かをすることです。何かをもらうことではありません。自分のことだけを考えたら、もらうことが一番大事だと思うでしょう。良いことでも、霊的なことでも、もらうことが一番大事だと思ってしまいます。しかし、イエス様は違うことを教えます。彼のためには何かをもらうことではなくて、何かをすること、出すことが幸せへの道です。
愛することはなんでしょうか。ある日、幼稚園でこの話しがありました。年長の子供たちに神様の愛について話しました。しかしある子どもはぴんときませんでした。「愛することは何」とわたしに聞きました。その時私のある先輩の先生の言葉を思い出しました。つまり、愛することは大事にすることです。子どもさえが理解できる言葉でした。神様、他人を自分よりも大事にし、神様、他人を考えて行動することです。
この事実の中で、秘密があります。皆さんは良く知っていますが、被造物が無数の非常に小さな細胞で作られています。そして、各細胞の中にもっと小さな組織があります。中心的な役割を果たしているのはDNAです。暗号のように、その細胞のことのみでなく、その生命体全体のことが詳細にまで記されています。DNAの地図に従いながらその生命体が成長し、生きていきます。神様の創造は素晴らしいでしょう。
しかし、それよりも素晴らしいことがあります。同じように、人間の中に目に見えない暗号、「霊的なDNA」と言えるものがあります。わたしたちは、自分の体、こころ、精神の中でこの「霊的なDNA」を持っています。「愛しなさい。神様に。他人に。これは人間の幸せ、これは人間のための一番大事なことです」。もらうため、自分のことだけを考えるため、物を保つためではなくて、愛するために、自分を出すために、神様が人間をお創りになりました。それよりも先に、神様がわたしたちを愛してくださいましたから、今、わたしたちを愛してくださいます。
言葉よりも例になる人のことを考えたら、すぐ理解できるでしょう。何年か前にお亡くなりになったインドで働いていた、マザー・テレサは一つの例です。亡くなっていく人々、貧しい人々と一緒に生活をし、彼らを世話することの中で、深い喜びを味わいました。同じように、ボランティア活動をしている人々が東日本大震災などの地区で、人々と共に歩み、可能な限りの助けをすることによって、喜びと幸せを体験しています。
最初の質問に戻りましょう。一番大事なことは何ですか。毎日の忙しさの中で、こころの中で望んでいる平和と幸せを得るためにどうすればいいでしょうか。
イエス様の返事はとてもシンプルです。「愛しなさい。神様を。他人を。」そうするためにどうすれば良いでしょうか。
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