ウィークリー・メッセージ 201612

 

聖書の中心は、4つの福音である。」

 

 丸亀教会担当司祭  カンバラ・デシデリオ

 キリスト者にとって重要である祈りをささげるために山に登られたイエス様は、「十字架の死」という神様の計画について話をされました。しかし「十字架の死」を超えた向こうに、「服は真っ白に輝いた。」とあるように顔や姿の変化だけでなく、神性をも現わされました。


 私たち弱い人間にとって弱さの象徴である十字架が、神の知恵であることを示す栄光の姿を見たペトロが、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。」と言ったことが、後に弟子たちを通して全世界に広がります。最初の教会から、イエス様が神様であることを信じ、回心への呼びかけをする祈りの場となり、今日まで発展しています。


あの時まだペトロは、興奮のあまり、イエス様の変容を深く味わっていなっかったのでしょう。理解できないながらも感激しているペトロたちを雲が包み込み、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と、神様の声が聞こえ、弟子たちは目撃証言者となり強められていきました。


 私たちキリスト者は、十字架を見つめながら、イエス様の変容のうちに示された受難と栄光を思い起こし、祈ることで心が強められますが、丸亀教会に来てくださる未受洗の方の中にも、「悩み事や苦しみがある時に、遠回りをして教会の青い十字架を見ると、心の平和が感じられ、強められる。」と、言ってくださる方がおられます。


人はみな、悩み・苦しみ・病気・差別・迫害など困難を抱えて生きています。しかし、最後まで神様の声(聖書の御言葉)に耳を傾けて生きる人には、必ず心が強められ、困難を乗り越えられる力が与えられます。特に、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音は、聖書の中心であり、イエス様が人として生きられた証を紹介して、神様への回心の呼びかけになっています。


 「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。」(イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔 1.)と言われる、パパ様のお言葉のように、私たちは神様のいつくしみを、福音書が証し、また日々の生活の中でそれを体験することで、回心の呼びかけに応え、神様の声を聞き、苦しみに真っ直ぐに立ち向かい、同じ栄光を受けることができるように、愛を持って生きていきましょう。

 丸亀教会担当  カンバラ・デシデリオ神父

 

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