ウィークリー・メッセージ 201627

 

「年間第13主日 聖書のメッセージ」

 

 桜町教会担当司祭 松浦 信行  

 

 、もうすでに亡くなっていますが、御受難修道会のアメリカの聖書学者、キャロル・ストゥーミラー師の講演を聴いたことがあります。その中で、イエス・キリストの教えは、何一つ新しいものはなく、それまでのラビが言っていることばっかりだというのです。

 そして師は、また続けてこう言いました。「もしイエス・キリストの特異な教えと言えば、いくつかの教えを平面に見るのでなく優先順位を付けて、物事を見ようとしたことだ」と。


 そのことにびっくりしていましたら、その後関西では、阪神淡路大震災が起こりました。そして、多くの負傷者が病院を訪れ、病院の機能がパニックになった時、トリアージュと言うものがなされていたことを後で聞きました。患者さんにラベルを貼り付けて、治療しても駄目な人と、治療すれば助かる人とを分け、少しでも多くの人を助ける方法なのだそうです。しかしそのラベルを貼る人には、負傷者の家族から鬼のように思われることもあったと聞いています。


 イエスの教えも、一人の人間がパニックになって、何が何だか分からない状況の中で、全てを行うことすら出来ない人間の能力に対して、優先順位を付けながら、一つ一つの状況を方向付けていき、整理していくやり方なのかもしれません。
 手術を終えた患者さんに、のどが渇いたと言って水を与えて死の危険を冒してしまうことではなく、こんばんは我慢するようにそれが生きる方法だと何が大事なのかを説く心が、イエスのやり方なのかもしれません。

 全てを強調すれば、全てが強調されない状況になってしまうわけです。そんな中、律法で一番大切なのは神を愛すること、そして2番目は自分のように隣人を愛することとの優先順位の構図の中で、世界を見て、人生を送ることだと整理したわけです。

 

 今日の福音書は、3つの問いかけの中で、自分のために働くのではなく人のために働くことを優先する心、正しさと言う観点ではなく生きることを優先する心、安定ではなく不安定な中にも関わることを優先する心、と言った優先順位がはっきりと見られます。そして、はっきりとした未来が見えてくるところに、人のチャレンジする心も力付けられるのだと言っているようです。

松浦信行

 

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