ウィークリー・メッセージ 2016第34回
「ハワイの高知城教会」
中村教会担当司祭 硫黄
隆二
土佐は「いごっそう」、「はちきん」の地である。南は太平洋を独り占めしている。東は室戸から西は土佐清水へと続く。太平洋は波と言うより、うねりが何時も打ち寄せている。沖には黒潮が流れ、見た目には字の通り海は黒く見える。或る時、アメリカ人婦人が「どうしてこの様に、此処の海は黒いのですか」と尋ねられたことがあった。この黒潮にのって「カツオ」が来、「ハマチ、サワラ、シイラ」その他たくさんの大型魚が来る。
古代は土佐は遠流の地であった。土佐は九州に近い西部から開かれて行った。中世にはいると、細川氏、土佐一条氏、長宗我部氏によって、勢力を得、近世になると、山内一豊の土佐入国、野中兼山による開発によって、土佐藩政が確立して行った。木材と紙と鰹節の国となった。土佐勤王党と大政奉還へと続いて行くのである。
近代に入って高知県として誕生する、「自由は土佐の山間より」と。海南義社と、赤坂喰違事件、民権の叫び、立志社の活動、自由党が生れ県政と政争の高まりへと進展して行った。
ここで特筆すべきは岩崎弥太郎が三菱をつくったことである。反骨の思想が新しい土佐をつくって行く。ライオン首相と悲劇の将軍(陸軍大将山下奉文と海軍元帥水野修身)、ワンマン宰相に導かれて、新しい土佐が始まっている。
ここで、ハワイに高知城教会を建てた、奥村多喜衛牧師を紹介したいと思います。
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結論) 私も皆様の多くも奥村多喜衛牧師について知らなかったと思いますが、私は土佐偉人の一人と数えたいのです。教会の塔として高知城を建てたその着想を謳歌したいと思います。 最後に、お城は信長がつくるまでは、とりでの様なものであったようです。信長が琵琶湖の長浜に建てたのが最初で、現在天守閣と言うのは、もともと天主閣即ち天主(カトリックの神)を祀るところであったと言う説もあります。それが江戸時代の禁教令で天守となったと言います。 |
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