ウィークリー・メッセージ 201634

 

ハワイの高知城教会

 

 中村教会担当司祭 硫黄 隆二  

 

 佐は「いごっそう」、「はちきん」の地である。南は太平洋を独り占めしている。東は室戸から西は土佐清水へと続く。太平洋は波と言うより、うねりが何時も打ち寄せている。沖には黒潮が流れ、見た目には字の通り海は黒く見える。或る時、アメリカ人婦人が「どうしてこの様に、此処の海は黒いのですか」と尋ねられたことがあった。この黒潮にのって「カツオ」が来、「ハマチ、サワラ、シイラ」その他たくさんの大型魚が来る。

 古代は土佐は遠流の地であった。土佐は九州に近い西部から開かれて行った。中世にはいると、細川氏、土佐一条氏、長宗我部氏によって、勢力を得、近世になると、山内一豊の土佐入国、野中兼山による開発によって、土佐藩政が確立して行った。木材と紙と鰹節の国となった。土佐勤王党と大政奉還へと続いて行くのである。


 近代に入って高知県として誕生する、「自由は土佐の山間より」と。海南義社と、赤坂喰違事件、民権の叫び、立志社の活動、自由党が生れ県政と政争の高まりへと進展して行った。

ここで特筆すべきは岩崎弥太郎が三菱をつくったことである。反骨の思想が新しい土佐をつくって行く。ライオン首相と悲劇の将軍(陸軍大将山下奉文と海軍元帥水野修身)、ワンマン宰相に導かれて、新しい土佐が始まっている。
 ここで、ハワイに高知城教会を建てた、奥村多喜衛牧師を紹介したいと思います。

マキキ聖城キリスト教会
  • 1865年(慶応元年)4月18日 安芸郡田野で生れる
  • 1887年(明治20年)22才 結婚 片岡健吉のすすめで教会に通う。
  • 1888年(明治21年)23才 大阪教会で授洗
  • 1894年(明治27年)29才 同志社神学校卒業、横浜を出発し、ホノルルへ。10月、ホノルル日本人教会副牧師となる。翌年主任牧師となる。
  • 1900年(明治33年)35才 ハワイが米国属領となる
  • 1906年(明治39年)41才 マキキ教会初代教会堂完成 400人収容。
  • 1932年(昭和7年)67才 マキキ教会新教会堂落成ー高知城を模してつくった天守閣を教会の塔とした。マキキ聖城キリスト教会と改称(11月13日)
  • 1941年(昭和16年)76才 日本軍が真珠湾を攻撃、日米戦争始まる
  • 1945年(昭和20年)80才 戦争終結9月
  • 1951年(昭和26年)86才 2月10日 ホノルルで永眠


サムライ牧師と呼ばれて、ハワイ日本人社会に貢献した。
1) 日本人移民の子供達のために、日本人幼稚園,小学校、小学校寄宿舎ー学生   寄宿舎などを開設した。
2) 奥村ホーム、日本人寄宿舎、女子寮もつくる。
3) 日本人慈善病院もつくる。
4) 日本人移民社会から日系社会へ
    排日予防啓発運動 1920年〜1930年
    日系市民会議 1927年
    真珠湾攻撃

結論) 私も皆様の多くも奥村多喜衛牧師について知らなかったと思いますが、私は土佐偉人の一人と数えたいのです。教会の塔として高知城を建てたその着想を謳歌したいと思います。

  最後に、お城は信長がつくるまでは、とりでの様なものであったようです。信長が琵琶湖の長浜に建てたのが最初で、現在天守閣と言うのは、もともと天主閣即ち天主(カトリックの神)を祀るところであったと言う説もあります。それが江戸時代の禁教令で天守となったと言います。

マキキ聖城キリスト教会


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