ウィークリー・メッセージ 2016第38回
「怠りの罪 −9月25日の福音書ー」
江ノ口・赤岡教会担当司祭 デーワネーサン・ジョンセルワラージ
最近、ポケモンゲームについて話せば子供から大人まで皆喜んで耳を貸してくれるとおもいます。天国とか罪とかは、つまらないと言って聞きたくない方が多いでしょう。しかし、先日聖書の勉強会の時、罪について参加者の意見を聞くことができました。罪に関しては、信者にとっては身近なので、疑問も多く、日々の生活の中で自問し、相談もしながら苦しむことも多いと聞きます。
その時私が説明できなかった「怠り」の罪について述べてみます。良く頑張ってお金を貯め、今楽しく生活を送っている方のことを悪人のようにいっているのを聞いたらどう思いますか。富は神さまからいただいたものとして、感謝の気持ちで生活しながら教会に通っていて、このような言葉を聞いたら教会から離れていくことになるかもしれません。
どうして金持ちは天国に入ることができないのでしょうか?何も悪いことをしたとは書いていもないのに。例えばラザロを門前から追い出しもしない金持ちでも。食卓から落ちるものを食べるのに禁止をせず、いつも自分の家の前にいるのを嫌とか邪魔とかといわず、物を投げたりおこったりしなかったとしても。そして深く考えれば金持ちの罪は行いじゃなくて怠りと分かるようになります。悪いことをいっぱいしたからではなく、良いことを一回もしなかったから天国に入るのに難しくなったのです。お金持ちの失敗はラザロの必要をぜんぜん考えなかったことです。それが怠りなのです。今日の福音によると、悪いことを何もしなかったからといって簡単に天国に入るわけではないということです。
さらに、いいことを何もしなかったなら絶対に入ることはできません。富が悪いとは決して教えていません。素敵な服を着る者も悪い人とは思いません。毎日肉を食べる事もダメとは言えません。お金持ちは皆、天国に入ることができないともいっていません。でも助ける力があっても助けない人、他人の苦しみを見ても見ないふりをする人、自分の楽しむことだけに、いつも夢中になっているひとは、天国に入ることができないということでしょう。
<西川助祭の記事「年間25主日」に行く | 田中司祭の記事「赦すこと、信じること、仕えること」に行く> |