ウィークリー・メッセージ 20176

 

年間第7主日

中村教会担当司祭    硫黄 隆二

 

 日の聖書のテーマは「『聖なる者』となりなさい」ということです。

 旧約聖書では「目には目を、歯には歯」と教えられている。これに対して新約では「あなたの右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい」「求める者には与えなさい」と。また「隣人を愛し、敵を憎め」と教えるのに対して、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と。

日本では古くから儒教が教えられ、これが道徳の規範となってきた。神道も仏教も聖なる者になることを教えてきたし、またそれぞれに実行してきた。そのために修行をしてきたのです。滝にうたれる修行とか施しをしたり、喜捨きしゃ を求めて修行したりと。また一般の人々もこれに応えてきたのです。

競技もそうで、ただ勝つとか相手を負かすとかいうのではなく、競技を競うと思い、心の統一を求め、一つの修行の場として来たのです。それで剣道とか柔道とか単に勝つとか負けるとかでなく「道」として努力してきたのです。「道」というのは規則に則って不正を犯さず、いわいる正々堂々と競技することです。

 キリスト教では「愛」という言葉をよく使いますが、東洋では敬うとか尊ぶとか親切であるとか、やさしい、柔和、助け合うという様な言葉がよく使われるのではないでしょうか。「聖なる」ということは自分自身に対しては欲望をおさえ、欲望に打ち勝ち、徳に励み、人を助け、親切にし、お互いに「和」をもって尊しとすることではないでしょうか。

もちろん自分自身を常に精神的に、肉体的に鍛錬すること、祈りや瞑想に努め、祖先を尊び、自分を犠牲にすると共に、霊肉共に鍛錬すること、他人を助け奉仕すること、恵むことではないでしょうか。キリスト教的表現では「敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい」ということで、豊臣時代、特に徳川時代のキリシタン迫害に驚くべき力を持って信仰に生きることが出来たのです。

 

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