ウィークリー・メッセージ 20179

 

「四旬節第4主日(ヨハネ9・1− 41)

  

新居浜教会担当司祭  フェルナンド・マヨラル

 

 エス様は、一人の目が見えない人に出会った時に、温かい心で近づき、土をこねて、彼の目に塗った後、シロアムに行って洗うようにと言われました。そして、土を塗られた彼は言われたとおりにして、目が見えるようになりました。

彼の両親は、ユダヤ人たちを大変恐れていたので、この奇跡を見て自分たちの意見を言い出せませんでした。また、厳格なユダヤ教の人達は、土曜日に盲人が癒されたので、この奇跡が神様からのものとは信じませんでした。(土曜日に癒すことは禁じられていたのです。)この奇跡を見た人たちの間で意見が分かれたのです。そして、目が見えるようになった彼は、イエスが神のもとから来られた方であると答えたために外に追い出されました。しかし、彼は、イエスから与えられた恵みのお蔭で光の人になりました。イエス様は、彼の心の奥深くに触れられ、「イエスこそ、自分の最高の宝である」という確信が彼の中に生まれたのです。目が見えなかった彼は、謙遜に自分の心をイエスに開き、イエスを信じる人になりました。

 イエス様は、このすばらしい奇跡から現在の洗礼の意味を説明したかったのではないでしょうか。また、ヨハネ3章5−6章でニコデモに次のことを話されています。「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」洗礼によって私達は神の子として新たに生まれ、私達の心を変えていく力を持つ人になります。

 この世界に住んでいる私達は、毎日歩んでいる道がイエス様に照らされますように心から願いましょう。私達の心をキリストに開くなら、必ず私達もキリストの目で毎日の生活を見る人になります。

カトリック新居浜教会  フェルナンド神父

 

カンバラ司祭の記事「2017四旬節第3主日」に行く 井原司祭の記事「四旬節の犠牲―「痛み」と復活」に行く>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る