ウィークリー・メッセージ 201715

 

聖霊降臨

  

高松教区司教  諏訪 榮治郎

 

 日、若いお母さんに手を引かれた坊やが、バス停に立っていた私をジーと見ながら通り過ぎました。少し微笑むと、坊やも頬をゆるませてくれました。坊やはまた確かめるようにこちらを振り向きました。手を少し振ると、坊やも手を上げて応えてくれました。信号の向こうに行くまで、何回か手の振りあいっこをしました。それは久しぶりの清々しい出来事でした。

しかし何年かすると、あの坊やから微笑みが取り去られるのだろうか・・寂しい思いがします。私たちはどんな世界に生きているのでしょうか。毎日の新聞に載せられるテロや暴力の悲惨なニュース。日常生活の中に確かに福音的な出来事もいっぱいあるのですが、経済最優先のこの世界の動きは、持たぬ多くの人の嫉妬、持てる者たちの孤立主義。この地球はいあたるところで人々は傷つき倒れ、各地で悲鳴や叫び声が上がっています。

 復活の主が去られた後、不安を抱き、途方に暮れる弟子たちを支えたのは何だったのでしょうか。改めて「聖霊降臨」の意義を確かめたいと思います。御父と御子の中に交わされていた「慈しみの計画」を続けられるのです。それはイエス様がこの世を大切に思う「人をひとりぼっちにしない」配慮であることをひしひしと感じます。手元にある「聖霊降臨」の絵には、聖霊の7つの賜物が描かれています。それは・愛・神様を敬う心・知恵・判断・理解・賢明・勇気です。それはポケットに入るものではなく、人の心と体に染込み、その人の人格に働きかける神の息吹なのです。それによって人は新たにされ神の子として変えられて新しく生きるのです。これが教会共同体の誕生だったのです。


2000年に及ぶ教会の歴史は、(人間の弱さを持ちながらも)この聖霊の力に導かれているのです。教会は聖霊の導きのもと社会の奉仕者として、また神の言葉を告げ知らせる預言者として、また人々の祈りを捧げる祭司として、社会の中に遣わされているのです。教会の中でいつの時代でも歌われている祈りがあります。

「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、私たちを照らしてください。」と父と子と聖霊に包まれて生きる祈りです。

 

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