ウィークリー・メッセージ 2017第18回
「2017年キリストの聖体の主日」
新居浜教会担当司祭
フェルナンド・マヨラル
縦に長く指揮棒を振ると力強く、横に長く指揮棒を振るとなめらかな印象を与えること、ある楽器の演奏への入りの前に、指揮者はそのポイントを指示すること、不協和音の時は、バランス良く音を鳴らさないと間違ったように聞こえること等、多くのことをその指揮者から学びました。
そんなある日、その先生は私に、「ソロを奏でる上手な人が必ずしも、何人かで奏でるアンサンブルが上手いとは限らないよ」と教えてくれたことがあります。一人で奏でるソロは、いつも回りがソロに合わせて調えてくれるから、回りのことは気にすることがないけど、何人かで合奏を奏でるアンサンブルの人たちは、いつも人の演奏に耳を傾け、その中で自分はどんな音が鳴らせるかを考えているから、ハーモニー感覚はとっても磨かれていることを教わりました。
ソロ活動をする人は、自分の音が目立てば良いけど、合奏する人は、合奏団全体で一つの音を奏でる感覚が大事になるから、下手な人々が集まってもとっても良い音を生み出すことがあることをそこから学びました。
今日のキリストの聖体の主日のメッセージもこのように読み取れます。苦しむ時に、共に助かった喜びを味わうことの出来た、マナの体験は、個人の体験だけでなく共同体の体験としてその後生き生きと語り伝えられたこと。そして、パンを分かち合う時に、パンを分かち合う人々の心も一致し、人々のその一致した心がキリストの体を作り出していくこと。そして、一つの思いで食卓を囲む時、そこにキリストがたたずむことを体現できること。
キリストの神秘体が、初代教会では御聖体よりも、共同体の一致の中に本質を見出したその生き生きさを、わたしたちの時代でも味わってみたいと思います。
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