ウィークリー・メッセージ 201719

 

「年間第15主日 A年

  

中島町教会担当司祭  イルダラヤージ・アントニサミー

 

 る教会に二年前に洗礼を受けた人がいました。彼は毎週日曜日、いろいろな教会を順番に回ってミサに参加していました。なぜなら一番説教が短い教会を探していたからです。この人は、短い説教と時間がかからないミサがいいミサだと思っていました。神の言葉を長く聞きたくなかった、イエスの教えが分からないからです。でも、彼の心はだんだん変わってきました。神の言葉を信じるようになりました。回心したのです。今では一時間の説教でも、じっと聞いています。イエスの言葉が分かってくればイエスとの関係は強まるということです。
 
 今日の福音、種を蒔く人のたとえ話は神様の言葉を説明しています。四種類の土地に種が落ちます。道端に、石だらけの土の少ないところに、茨の間に、あるいは良い土地に…。神様の言葉を聞く私たちの心はこの四種類の土地のようです。皆さんの心の土地はどれですか。道端ですか、石だらけで土の少ないところですか、茨の間ですか、それとも良い土地ですか。土地はそのままですね、台風が来たり、誰かが手を加えたりしなければ、土が変わることはありません。でも、人の心は変わることができます。どうすれば私たちの心が良い土地になって実を結ぶことができるでしょうか。
 
 道端のような心では神の言葉を受け入れません。ほかの三つの心を持っているならみ言葉を聞きます。イエスの言葉を聞くとき大事なのは三つのステップです。

第一は知恵を働かせること、頭を使って福音と説教をよく聞くことです。

第二はそれを心に入れることです。

第三は魂です。心に入れたことを使うことです。

聖パウロは第三の魂のことを「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄を切り離すほど強い」と言っています。(ヘブライ人4:12
 
 みんな同じ事を聞いているのに、なぜ同じように分からないのでしょう!種を蒔く人のたとえ話を見ると、大事にするのは種を蒔く人じゃなくて、種をいただく土地のことです。誰が説教をしているかじゃなくて、誰に何を話しているかが大事です。み言葉を聞いている皆さんが大事なのです。
 
 メッセージをストレートに言ったら誰も受け入れないかも知れません。日本人も話すときに直接的な言い方はあまりしないでしょう。だからイエス様もたとえ話を使って言います。


 ヨハネによる福音書の中で、イエスの話を聞いていた人々にイエスはこう言っています。「私の言っていることが、なぜ分からないのか。それは私の言葉を聞くことができないからだ」。ヨハネ8:43


 皆さんはイエスの言葉をどれほど聞いていますか。100倍、60倍、30倍の実を結ぶことができるような、良い土地になっているでしょうか

イル神父

 

 <フェルナンド司祭の記事「2017キリストの聖体の主日」に行く 稲毛司祭の記事「年間第16主日」に行く>

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