ウィークリー・メッセージ 201720

 

「年間第16主日

  

中村教会担当司祭  稲毛 利之

 日の福音の箇所は、先週に引き続きイエスの「天の国のたとえ」集の第2回目です。15,16,17主日と3週にわたって「天の国の譬え」集が語られます。まず先週の福音のポイントをぜひ思い起こしてください。そして聖書の当該個所の前後を広く読んでください。何故なら聖書にも文脈があるからです。


日の個所の直前の12章では、イエズスとファリサイ派の人々との論争の繰り返しの最中、ついにファリサイ派の人々はイエズスを殺す決断に至ります。続く13章は、それを受けた天の国の譬え集です。先週の「種を蒔く人」の譬えでは、「神のみことばは受け容れる人々によって豊かに実を結ぶので、イエスがそうしたように、迫害下にある教会も恐れず失望せず、神のみことばを宣べ伝え続けなさい。ただ神のみことばの聴き方にいつも注意していなさい。」ということが語られました。


日の「毒麦」「からし種」「パン種」の譬えでは、ファリサイ派の人々の悪意や・殺意が現れた中、イエズスは悪意や殺意の発現のただ中で、みことばを蒔き続けます。みことばの勝利を宣言します。みことばが最終的に勝利し、豊かな収穫が得られることを確信しておられるからです。そしてイエズスと同じように教会も神のみことばを蒔き続けるよう再度チャレンジを受けています。


だ、今日の個所「毒麦」の譬えでは、教会内外のとりわけ教会内の「悪」の問題に触れています。恐れず失望せず、神のみことばを宣べ伝え続けなさい、と教えられ、一生懸命そうしていても、わたしたちのさなかに「悪」が混ざり込んでいるという現実。「どうして?」という疑問もさることながら、この現実にわたしたちは打ちのめされ、冷めてしまい、元気を失って、終いには絶望してしまいます。「あの人々はどうしてあんなことをするのだろう!」躓きが人々の熱意と愛を覚ましてしまいます。しかしながら、かの人々が「毒麦」だとは誰も断言してはいけません。人間には分からないからです。却って、もしかしたら自分自身の心の中に「毒麦」があるのかもわかりません。誰にも分かりません。しかしながら、確かにある―これが「悪」の現実です。


直、この「悪」の現実の中でわたしたちはどうしたら良いのでしょうか?どこに向かって歩めば良いというのでしょうか?

 

 以前にも書きましたが、自分がどこにいるのか分からなくなった時、それは地図を使う時も同様ですが、最初にどこから出発したのかを確認する事が役に立ちます。マタイ福音書にはハッキリ目立つようなプロローグが最初(1章)についています。あの最初聖書を手にした者が必ず驚いてしまう系図…それは、マタイ福音書全体のメッセージを理解するための具体的レジュメなのです。混乱したり迷子になった際、改めて最初の系図をゆっくりと黙想するのです。


系図には特徴があります。5人の女性の名前が含まれていますが、4人はスキャンダルに関わっているか、或いは汚れたと思われている異邦人なのです。つまり、キリストの系図は、光ばかりではなく、暗闇や不純なものを含む、いわゆる“罪の系譜”を内包しているものでした。しかし神はいつでも民と共におられました。(インマヌエル)そして、系図は「聖霊によって」全く新しく刷新されたのです。この系図の頂点・目的・完成であるマリアの初子であるイエズスによって、全く新しい系図の物語が創まりました。それが“教会”――マリアの子供たち・イエズスの弟妹である“わたし達”なのでした。


に、イエズスの公的な教えの初めは何だったのでしょうか? 山上の垂訓ですね。その初まりは、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける……」


御自身が不完全で弱いわたしたちの歴史・系譜に直接介入し、救いの歴史として完成なさるのです。神御自身が悪を裁き、完全に刷新されるのです。収穫の時、時が来れば、神御自身が直接裁きます。収穫の時に向かう今は、神の憐れみの時、神の忍耐の時なのです。だから、失望せざるを得ない時に、切望せざるを得ない、イマココデ、神からの賜物である回心の恵みを乞い求めましょう!心の貧しい者でありましょう!自分や人々の悪に悲しむ者、柔和な者でありましょう!義に飢え渇く者でありましょう!そして、人々の悪に憐れみ深い者でありましょう!暗闇の只中で、失望の只中で、福音(良き知らせ)を福音と受け容れる、神のみことばを神のみことばとして受け容れることが問われているのです。何故なら、天の国は隠された宝だからです。見出した者のみ喜びます。暗闇の只中で賛歌を謳いながら。失望の只中での幸い!


あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。(マタイ5章20節)

 

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