ウィークリー・メッセージ 201724

 

「私にとってイエスとは…

  

ブラザー  八木 信彦

 

 日、57回目の誕生日を迎えました。まだまだ未熟ですが、人生も50年を過ぎると、いろいろと振り返る出来事や内容が、以前よりも増えてきます。


 それらのことを総括して俯瞰ふかんしてみると、運命論の是非を問わずとも、「ある方向へ導かれてきた」ことは間違いありません。たとえ、今までとは全く違う人生を歩んでいたとしても、今ある場所や仕事に結局は収まったであろうことが予測されます。「ある方向」でない道を歩む決心をし、その道を歩み始めていたとしても、「ある方向」を歩むよう連れ戻されてきたようにも感じます。
その途上で「ある方向」に歩むよう、サインもたくさん送られていました。それは日々の出来事や出会いの中にたくさん隠されていました。それらは、その時その場その年齢に応じて最適のサインでした。


 その「ある方向」とは、自分の身の丈に合った自分に一番ふさわしい方向でした。自分のことをこんなにも良く理解してくれ、こんなにも配慮してくれ、こんなにも大事にされ、こんなにも愛されてきたことを思うとき、自然と涙がこぼれます。

 私にとってのイエスとは、その「ある方向」への揺るぎない「導き手」「案内人」でした。

 

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