ウィークリー・メッセージ 2017第24回
「私にとってイエスとは…
」
ブラザー
八木 信彦
それらのことを総括して
その途上で「ある方向」に歩むよう、サインもたくさん送られていました。それは日々の出来事や出会いの中にたくさん隠されていました。それらは、その時その場その年齢に応じて最適のサインでした。
その「ある方向」とは、自分の身の丈に合った自分に一番ふさわしい方向でした。自分のことをこんなにも良く理解してくれ、こんなにも配慮してくれ、こんなにも大事にされ、こんなにも愛されてきたことを思うとき、自然と涙がこぼれます。
私にとってのイエスとは、その「ある方向」への揺るぎない「導き手」「案内人」でした。
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