ウィークリー・メッセージ 201728

 

諸聖人の日に寄せて

  

聖マルチン病院 司祭  井原 彰一

 

 会の中には聖人と言われ、信仰者の模範とされる人たちがおります。

この人たちは私たちにとって大いなる宝であり、神さまが私たちを救おうと望まれたそのみ旨を実現するためのすばらしい道具となった人たちです。一人一人がキリストの手となり、足となって神さまの愛を証ししたのです。キリストが人類の歴史の中に人間として現れて以来幾人もの人が教会の中で公に聖人として認められてきました。キリストを頭とする教会の救いの業の素晴らしさを感じずにはおられません。


 このような聖人たちとは違ったところで、公には聖人と認められていないがその生き方は正しく聖人と言われてもよい人たちが居ることも確かです。

最近お会いした小林義男さん(仮名)もその一人です。彼は今87歳ですが、10年前から認知症の奥さん(85歳)の世話を自宅で続けています。奥さんは最初は物忘れや感情のコントロールが難しいなどの認知症々状が目立っていたのですが、今では30分前の事も覚えていられなくなってしまい、時間や場所の認識もできなくなり、また徘徊をして警察に保護されたり、いろいろなところに電話をかけまくったりと、小林さんが絶えず側についていないと何をし出かすか分からないといった状態になってしまっています。

認知症に特化したグループ・ホームに入所するように試みましたが、奥さんは嫌がりどうしても小林さんの側を離れようとしません。そこから彼の本格的な介護生活が始まりました。炊事、洗濯、掃除、買い物、病院通いの付き添い、昼夜問わずトイレや風呂への誘導、着替え、食事介助などなど、生活の全ての面での介護をするようになったのです。午後2時間くらいは買い物に一人で行くのでちょっとは気を抜けるのですが、ひょっとして何かあったらという不安はぬぐうことができません。しかし2時間以内には奥さんの所に戻らねばなりません。1日24時間の内一人でいるのは2時間で、後は常に妻と一緒にいるのです。それも1年365日続けて・・・。

この生活が後何年続くか分かりませんが、まだまだ続きそうです。老人ホームの職員は1日8時間勤務で、週に2日の休みがあります。小林さんは妻の介護を仕事とはもちろん思ってはおりません。人生のうち50年以上嬉しい時もつらい時も一緒に苦楽を共に生きてきた歴史の重みがあります。小林さんは「私は別に義務感で世話をしているのでもないし、辛いとも思っていません。妻をほって置けないからやっているだけです。」と今の心境を語ってくれました。

仕事としての関わりと、苦楽を共にした歴史の重みの中で育まれた関わりの深さの違いでしょうか。私には小林さんのような人も聖人に思えてくるのです。もちろんキリスト信者ではありませんし、公式の聖人として認められているわけでもありません。彼自身も聖人という言葉すら知らないのです。

聖マルチン病院 井原彰一

 

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