ウィークリー・メッセージ 201730

 

2017年年間32主日 聖書のメッセージ

  

桜町教会担当司祭  松浦 信行

 

 が高校生だったとき、「なぜ僕はこんなに心がかたくななんだ」と悩み、母にいつも訴えていたと言うことを聞いたことがあります。そんな時、母は弟の好きな音楽を一緒になって聴き、いろいろな話を聞いていたようです。そして、「代わってやれるものなら、その人生を代わってやりたいけど、これだけはおまえの人生だから代わってやれないんだよ」と、慰めていたようです。


この不思議なエピソードを思い出したとき、春の暖かな日差しの中を友人たちと郊外に出てハイキングをしたときのことを思い出しました。遠くの方に山があり、そこにぽつりと一軒家が見えます。ある女性がぼそっとこう発言しました。「あの一軒家の人たちは、きっと海が嫌いなのよ。」 この突拍子もない発言に応えて、別の友人が「その人たちはひょっとして山が好きなのかもしれませんよ。」「そうかしら、そうかもしれないわね。」と先ほどの女性がこう答えてこの会話が終了したのです。


一人一人に違った感性がある。その違った感性から見える人生は、別の人が代わりに生きることができない。ある人が作った講演会の原稿を使って、別の人が講演しても同じようには感じないものだと、聞いたことがあります。また愛することは、代わってあげれないということにも気がつきます。


 今日の聖書もこのような観点から見ることができると思います。5人の賢い乙女たちも、5人の愚かな乙女たちもどちらも主人が帰ってくるのが遅いので、眠ってしまいます。どちらも同じ生活をしています。どちらもともしびは灯っています。違いは、ともしびを灯す油があるかないかです。同じ生活をしながら油をそこからくみ取っている感性と、油をくみ取れない感性がそこにあることがそこからわかります。


だから、油は分けてあげれないのです。自分の分を自分で買いに行かなければならないのです。一人一人のユニークさ、一人一人の持つイエスを愛する仕方と人々を愛する仕方、イエスを見つめながらどのように応えるのか、それはみんな違うのです。
この違いを心にとめながら、それぞれのともしびを灯し続けたいと思うこの頃です。


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