ウィークリー・メッセージ 2017第32回
「王であるキリスト
」
坂出教会担当司祭
ネルソン・ウイリアム
この像は大きなものではありません。高さは50pぐらい、座っているキリストの姿です。台の上に彫刻されている玉座の下に高級な敷き物がしかれています。白い衣と赤いマントを着ているイエス様は玉座に座り、右手が祝福で上がって、左の手で藍色の地球の球を持っています。玉座の前の足元には、王笏をおき、そして、そのよこの枕の上に金色の王様の冠が見えます。
これだけであればどんな昔の王様の像と同じことになるでしょう。ところが、ゆっくり見ると、この像は二つの特別なことを持っています。
一つはイエス様の右の手です。真中に上がっている祝福される右の手に傷があります。イエス様が十字架につけられた時の釘のあとです。
右手でどんな人でも、どんな王でも挨拶し、祝福し、また、罰でも与えています。右の手でご褒美でも配ります。王であるイエス様の祝福の右の手は違います。わたしたちに命の祝福を与えるために自分の命を捧げてくださいました。この王様が自分の民を支配するために命をかける奉仕をなさいます。
この像はもう一つの不思議なことがあります。それはイエス様の胸です。イエス様の衣は胸もとが開いています、そして、その胸の真中に輝かしい御心を表しています。この御心はわたしたちのための神様の愛のしるしになります。
この王であるキリストの像をゆっくり見たら、どういう風にイエス様は王職を実現することを少しでも分かることが出来ます。立派な宮殿で命令をとうして知れない民を支配する王様ではなくて、わたしたちと一緒になって、永遠の命を与えるために自分自身の命を捧げられました、自分の羊を愛されている王様です。
昔の英語の讃美歌で歌うように、“The
King of Love my shepherd is,”愛の王様がわたしの牧者です。愛を持って愛の王を従いましょう。
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