ウィークリー・メッセージ 2018第8回
「復活の主日」
高松教区祭 司教 諏訪 榮治郎
主の復活 おめでとうございます。 去年も、今年も、来年も・・教会のカレンダーは主の復活祭を告げ知らせ、神に賛美をささげます。
イエスキリストの復活を誰も見ていません(墓から起き上がるという意味での)実証的な証明はできません・・。が、これまで2000年の歴史の中で、復活された「イエスと出会った」という体験は今も与えられている事実なのです。
時代、場所、文化、社会状況が違っていても「イエスとの出会い」は、その人の人生を新たにする体験であり、イエスに満たされ、生きる意味を見出し喜びに生まれ変わる体験としてあるのです。
混沌とした社会にあっても、この出会いは「愛、生命、真理」へと時間を超えたイエスさまの慈しみに満たされる体験なのです。それは社会を変えることにもなるのです。もし、主の復活祭がなかったのなら、人類の歴史はどうなっていたことかと・・よく思います。
聖書をよく見ますと、神がイエスを復活させた、というのです。それは父である神さまの計画だというのです。すべての存在の根本である慈しみ深い神さまの心は、イエス様によって現わされました。
イエス様の十字架を見つめましょう。あの十字架の縦棒は深く大地に分け入り、ともに涙を流す神の心です。同時にその縦棒はまっすぐに神のもとに伸びていくのです。
愛と赦しと永遠の命に裏打ちされていることの出会いなのです・・。「復活」の喜びはあなたのものなのです。
復活祭おめでとうございます。
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