ウィークリー・メッセージ 201813

 

年間第11主日


 

  協力司祭 硫黄 隆二    

 日のマルコの福音書は2つのたとえ話です。

第1の話は「種まき」のたとえ話で、第2のたとえ話は「小さいからし種」のたとえ話です。宗教的な教えにたとえ話を用いるのは第一に宗教的なことを具体的に示すためであります。

イエス様は沢山のたとえ話をしました。@神のことばの種A神の国の貴さ−宝と真珠−B利口な管理人Cからし種とパン種のたとえ(制止できない出来事)D毒麦と地引き網「敵」と「まざりもののない教会」E願い求める友と神を恐れぬ裁判官

F慈悲深いサマリア人−私の隣人はだれか−G王の婚宴−招きと改心−Hファリサイ人とみつぎとり−神はだれを義とするのか。神殿にお参りに来た2人−I放蕩息子−神と人間の考え方−Jぶどう畑の労働者−ぶどう畑のよい主人−

K愚かな農夫−死ぬための支度は常に出来ていなければならない−Lおごられる金持ちと貧しいラザロ−時機を得た改心を教える−M実らないいちじくの木−イスラエルへの最後の猶予期間について−N気難しい子供たち−認められない神の時(子供たちは律法学者やファリサイ派の人々を指す)−

O預けられた金−決算報告書−P十人のおとめ−戸が閉ざされることへの警告−Q自然に生え出でる種−種まく人の再来。主の再臨について話す−以上18のたとえ話を整理してみました。

どの話も聞いたことがあると思われます。今日のマルコ福音書の種まきのたとえ話は、ガリレヤ湖の岸辺で、沢山の人々がイエス様のもとに集まっていました。

そのためイエス様は舟に乗って、腰を下ろし、たとえをもって話されたのです。「聞きなさい」という言葉で始めました。それは彼らに救いの時が来たことを知らせるものでした。

農夫が畑を出て穀物の種をまいている。皆さん、この絵はよく見たでしょう。あの絵は聖書のこの場面を画いたものです。まかれた種は芽を出して成長する。種は人が知らないうちに芽を出して成長して行き、穂を出し、穂は豊かな実を結ぶ。このたとえ話でマルコは、種をまく人はことばをまくのである。

このことばは神のことばであり、福音である。これでイエス様がたとえの中で述べた種まく人はイエス様御自身であることがわかる。イエス様はガリラヤをめぐり、ことばの種をまくのです。

イエス様が「聞きなさい」という最初の呼びかけは、ガリレヤの湖の岸辺にいた聴衆に偉大な救いの時が来たことを告げるものです。種まく人イエス様は集まった人々の中にいる。

主のことばは人々の心の中に深く落ち、そこで豊かな「実」を結ぶべきである。このたとえは勇気と信頼を持つように、神のことばの種はどんな困難にもどんな抵抗や不成功にもかかわらずその実を結び、はるかに豊かな実を結ぶであろう。

2のたとえ話は「からし種」です。神の国は「からし種のようなものである」。「からし種」は1ミリ〜2ミリ程度の大きさです。ある人が1粒のごく小さいからし種をとり、庭の土に埋めた。

すると、それが芽を出し、生い茂って2〜3メートルの木になり、その枝に鳥が巣を作れる程になった。これは相当極端な対照である。初めはやっと見えるほどのごく小さな種が終わりには大きな木となる。神の国が「まかれた」初めは、地味で目立たない。

しかし終わりには、すなわち、主が再臨される時には、目を見はるほどに大きなものになっていることを教えているのです。


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