ウィークリー・メッセージ 201818

 

神は孤独な人に身を寄せる家を与え


 

  坂出・池田教会担当司祭 ネルソン・ウィリアム     

 週の初め、世界中でクリスマスが祝われました。この日、イエス様のベツレヘムでのお誕生を記念しました。今は、色々な場所でクリスマスのイルミネーションやさまざまな飾りを片付け始めています。教会他信者さんの家でもいくらか同じですね。

大抵のカトリック教会のお聖堂では、馬小屋が設置されたのが見られたことでしょう。これを目にしながら、わたしたちはいえすの誕生を想い起こしています。

ある寒い夜、宿屋がないために見つけたうまごやで神の子がお生まれになった。聖母マリア様と聖ヨセフ、また、馬とロバに囲まれ、生まれたばかりのイエス様は飼い葉おけで寝ていました。王様の宮殿においてではなく、身分の高い人々に囲まれてではなく、貧しく、へりくだって、動物のそばでお生まれなった。それは、だれでも気兼ねなく近付くことができるためでした。

今日のクリスマス後の最初の日曜日です。まだ、クリスマスの素晴らしい神秘の余韻が心に残ります。すなわち、神様がわたしたちと一緒にいらっしゃるということ。

もうすぐお正月になります。多くの人にとって、お正月はぁ族のために特別な大事な時期です。できる限り、家族皆が集まり、一緒にたのしく時間を過ごします。しかしながら、実際には、ある人は、家族として喜びばかりではないことも体験されています。ある人にとって、この家族的な時期は大変な苦しみの時期となりえます。良きにつけ悪しきにつけ、この季節は家族の重要性を想い起す契機となるでしょう。

この日曜日にはまさに、イエス様と彼の家族、あるいは聖家族ということについて思いを寄せます。または、その家族1人ひとりのこと、、すなわちマリア、ヨセフとイエス様のことを考えます。

真の人間として、イエス様は家族を必要としました。神でありながら人の子として生きるものとして、家族を通して、学ぶべきことがたくさんありました。人間関係における様々な大切なこと-お互いに成長し合うこと、許しあうこと等-を学ばれたのです。誰も、たった1人では、人間として成長することはできないはずです。

イナザレの家で、マリアも、ヨセフも、そして、イエスも、人間というものを学びました。ナザレで「母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈者日、神と人に愛された。」(ルカ2:52)

聖家族のように、聖家族と一緒に、わたしたちも家族を大事にしながら愛の中で、成長することができますように。


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