ウィークリー・メッセージ 201910

 

「主の受難


 

  聖マルチン病院 司祭 井原 彰一神父  

旬節も進み受難の主日(枝の主日)から聖週間に入ります。イエスの受難が始まります。

イエスの一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出して、ろばと子ろばを引いて来るように言います。

れは預言者を通して言われていた「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前の所においでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」という言葉が実現するためでありました。

当時のエルサレムはローマ帝国に支配されていましたが、このイエスのろばに乗った姿と、ローマ帝国の兵隊の馬上の姿を比べてみると、イエスの独自性が見えてきます。

ローマの兵隊は大きな馬に立派な馬具を付け、自分は堅固な武具で正装し、肩には華やかなマントをつけ、赤いじゅうたんの上を堂々と凱旋してきます。

それに対してイエスは弟子たちの着ていた服を子ろばの背にかけてその上に乗り、じゅうたんの代わりに大勢の群衆が自分の服を脱いで道の上に敷いたところを進んで行ったのです

ローマの兵隊は「ローマ皇帝万歳」と叫ぶのに対し、群衆は「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように。いと高きところにホサナ。」と叫ぶのです。

この世の政治的な帝国に於いては立派な馬と馬具、そして兵士は正装して長いマントをまといます。それに対して神の国に於いては、立派な馬の代わりに子ろばに乗り、武具やマントの代わりに普段着の服を着て、赤のじゅうたんの代わりに群衆が脱いだ服の上を進みます。

ローマの兵隊は自分の手柄を自慢し、戦利品を人々に見せびらかしますが、イエスは『出来ることならこの杯を遠ざけて下さい。しかし、み旨のままに』と心の中で祈っていたのです。

ナチスの軍隊ではマントをまとって右手を上げて「ハイル、ヒットラー」と挨拶していました。あのマントはローマ帝国の兵士のマントをイメージしたものだったそうです。

ゲルマン民族による政治的な帝国の実現を目指したのでしょうが、失敗に終わりました。日本も大東亜文化圏を作ろうとして世界第二次大戦にのめり込んで行きました。

しかしながら、その計画も広島、長崎の原爆によって打ち砕かれました。今もなお世界の至る所でこの世の政治的な帝国を築こうとする動きが見られます。

国境に壁を作り、「○○ファースト」と他者を排除する流れの中で、「あなた方は皆、信仰によりキリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

洗礼を受けてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ているからです。そこではもはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な者もなく、男も女もありません。あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」という聖書の言葉が光ります。

 


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