ウィークリー・メッセージ 2021年6月6日
キリストの聖体
使徒ヨハネ 諏訪榮治郎 司教
最近、福音宣教を共にし、同居しているK助祭さんが、心を込め朝昼晩と山盛りのサラダを作ってくださっています。毎食感謝していただいております。ありがたく頂きながら思ったことは、幼いころから母が毎日コツコツと作ってくださった食事の一つ一つを、当たり前のようにただ漠然と食べていた自分であった事に気が付きました。母の思いが食事に隠されていたことに気づかなかったことに対して、いま本当に足りなかった自分を感じております。
そんな中、教会は今日を「キリストの聖体」の日として祝っています。イエスさまは十字架刑の前夜、弟子たちと「最後の晩餐」を共にします。この時イエスさまの心は張り裂けそうだったと思われます。しかし弟子たちはこの食事中、「誰がナンバー2であるのかと互いに言い争っていた・・」とあります。御父の愛を一心に引き受け、それを現してきたイエスさまの思いを 弟子たちはわかっているのだろうか?イエスさまは非常に悲しく、心もとなく思われていたのではないでしょうか。
神である御父が御子に語り 御父の言葉と愛を人々に現わし続けてきた御子イエスの生涯の先に、十字架が立てられました。イエスによって神の愛はこの世で貧しい姿を取ります。神の愛の広がりであるイエス自身を人々は理解できなかったのです。社会の底辺である十字架は弱くされたすべての人々を受け入れる姿であり、十字架の縦の棒は天(神)と大地(人)が結ばれた赦しの姿です。すべての人を愛する神の心は「貧しさ」としてイエスの十字架によって現わされたのです。
この別れの食事の中でイエスさまは パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら「取って食べなさい。これはわたしの体である。」と言われました。十字架上で引き裂かれたイエスは 裂かれたパンをもってご自分を表したのです。「取って食べなさい」パンはイエスの生涯のことです。ミサの中で司祭がパンを取り「これはキリストの体」と言って与える時、あの小さなパンに父と子の無限の愛は込められ、与えられるのです。父と子の無限の愛に迎え入れられ、「私は世の終わりまで あなたとともにいる」という現実を確かめていただきたく思います。そして教会が日々生まれていくのです。
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