ウィークリー・メッセージ 2021年7月25日
年間第17主日
ヨセフ神父
学生の時代ごろ、雨宮慧神父(東京教区司祭)に旧約聖書を教わりました。現在、雨宮慧神父が書かれた「聖書講話集Ⅰ」の「なぜ聖書は奇跡の物語を語るのか」という本を読み始めました。この本を読んでいるうちに、様々なことを考えさせられました。それは奇跡の物語です。奇跡物語の裏にあるものがいつも神であるイエス様を想起させるものであることは明白です。
聖書の中には特に新約聖書におけるイエス様の奇跡物語がたくさん描かれています。中でも、今週のヨハネ福音書(6章1‐15節)から取り上げ、朗読されます。それは5つのパンと2匹の魚を大群衆(5千人)に分け与える話です。イエス様はパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられました。また魚も同じようにしていました。
この箇所は単純に読むと「5つのパンと2匹の魚を、5000人の人に分け与えた奇跡物語」としてとらえられます。普通に考えても5つのパンと2匹の魚では、決しておなか一杯になるとは思えないから奇跡が行われて、女性や子どもをのぞいて5000人の人に食べ物が与えられたのだと考えます。
この不思議な奇跡を行う直前に、イエス様は祈っていたわけです。いつも神である御父に委ねます。御旨に適うものとなりますように。
イエス様はこう言いました。「わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10:30)「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。」(ヨハネ14:9-10)
今週の第2朗読もそうです。パウロはこう言っています。「体は一つ、聖霊は一つです。あなたがたが招かれたものただ一つの希望に支えられてのことでした。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つです。すべてのものの上に位し、すべてのものを通して、働かれ、また、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神は唯一です」。
人生の唯一の目的に向かう道はただ一つしかありません。この道を進むために、私たちが必要とする力をくむことができる源泉もただ一つしかありません。この源泉は唯一の神です。神はすべてに超えておられる方です。
今週の第1朗読の列王記下2章にありますように、神が預言者エリシャを通して、人々に与えて食べさせてくださいました。ですから、エリシャは奇跡の執行者ではなく、ただ奇跡の場に居合わせただけです。
したがって、奇跡を引き起こしたのは、エリシャ御自身ではなく、神の言葉です。エリシャは神の命令の通りに、人々に命じただけです。奇跡を引き起こす主役は神の言葉です。今週の福音のイエス様もそうです。イエス様も神に感謝の祈りを唱えました。
今週の第1朗読の列王記下とヨハネ福音書の話は、それを私たちに思い起こさせることがいくつあります。
まず、わたしたちはイエス様に倣い、神に祈ることを大切するようにつとめています。そして、わたしたちが聖体祭儀にあずかるとき、特に聖体拝領をするとき、「わたしが命のパンである。わたしのもとにくる者は決して飢えることがない」とのイエス様のみ言葉を思い出しましょう。私たちはイエス様から与えて頂いたパンを食べて、満腹している5千人と同じようにまさにこの人こそ、世に来られる預言者である」言えるようにしましょう。
物理的に満腹しても、精神的に飢え渇かないように注意しましょう。とくに現在コロナ禍で困っている兄弟姉妹に心を向けたり、慰めたり、彼らと色々と分かち合うことができたら良いでしょう。そしてこの世に源である神様の平和が注がれますように祈って参りましょう。
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