ウィークリー・メッセージ 2021年9月5日

エッファタ

小山一助祭


 「エッファタ(開け)」とイエスさまはこの通りの言葉で言われた。しかも、指をその両耳に入れ唾をつけた指で舌に触れた上で、天を仰ぎ、深く息をつかれながら「エッファタ」とひと言(マルコ7・34)。

 ペトロの弟子(通訳)であったマルコがペトロの話しや説教をもとに福音書を書き始めた時、マルコはイエスさまの話された言葉をそのままアラム語で記した、記さなければならなかった。それは、イエスさまが耳の聞こえない人を癒されたその場に居たペトロにとって、イエスのそのひと言とその情景が忘れられないものであったからだろう、その時だけでなく、その後々までも。おそらくペトロはその光景をたびたび思いだし、イエスの言葉と行動の意味について思いを深めていったのではないか。ペトロの感動はマルコにも伝わり、マルコが初代教会での説教資料を準備するとき、イエスのこの言葉は発言通りの表現で記さねばならないと思わずに居られなかったのだろう。

 マルコ福音書の「エッファタ」という言葉を、いま、「イエスさまから私への言葉」と信じれる人はイエスさまによって?聞こえるもの“として頂けるし、「自分は聞こえている」と思っている人は、今以上には聞かせて頂くことはできず、もしかすると、今、聞いているものも聞こえなくなってゆくのかも。

 いま、私も小さな声で「エッファタ」と言ってみる。アラム語など知らないが、イエスさまがおっしゃったのと同じ言葉をイエスさまの情景の中で言ってみる。耳が聞こえず舌のまわらないのは私である。イエスさまが私の耳に御指を入れ私の舌に触れられる。そして「エッファタ」と。。

 よく聞こえるようになりたい。人々に正しいことを話せるようになりたい、美しい言葉で。しみじみ、そう願い、そう祈る。「エッファタ」!イエスさまの御言葉を通して、今日も奇跡が起きた。聞こえない耳が開いた!

 今日、招いて下さった御父をしっかりと見つめ、恐れず雄々しく歩もう、感謝と信頼、希望のうちに。

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