ウィークリー・メッセージ 2021年10月31日

心、精神、思い、存在

髙山徹神父


 オリンピック並びにパラリンピックが開催され、私も少し観戦致しました。特に、学生時代に自分も関わった競技になると、まるで自分のチームメイトが出場するかの如く応援に熱が入りました。各代表選手は、当然ながら日本国内トップレベルに位置され、世界の舞台に果敢に挑んでおられました。各選手の日々の練習の様子等もインターネットで見ることが出来、スポーツをする側の面白さも改めて教えて頂いた気がします。そうした中で、ハンマー投げ日本記録保持者である室伏広治さんを取材したTV番組を思い出しました。室伏さんは、38歳目前で出場したロンドンオリンピックで、銅メダルを獲得されています。室伏さんは、年齢的な限界を感じながらも、身体を効率良く動かすために脳の働きの強化に着目してトレーニングを続けて来られたそうです。その姿は、己の存在そのものを対象に懸けている、魂の求道者のようでした。

 年間第31主日の福音の中で、律法学者からの質問にイエス様が答えておられます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」ここで言われる“心”(cor)は、人間の内面における知性的な働きのようです。“精神”(anima)は、命そのものや魂のことです。“思い”(mens)は、知性的な働きを方向づけるものだそうです。“心”“精神”“思い”、これらが私という存在が生きる所に働いています。では、「神様を愛する」「人を愛する」と言う時、どれほど考えて、思って、実行しているのか、それこそ全身全霊で自分を相手に差し出しているか…イエス様が律法学者におっしゃりたかったのはそのことです。「あなたは、神の国から遠くない」でも惜しいと。

 考えてみると、“心”も“精神”も“思い”も私という“存在”も全て、神様から頂いたものです。感謝のうちに、惜しみなく分かち合うものとして頂けますように。

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