ウィークリー・メッセージ 2022年2月6日

年間第5主日のメッセージ

パウロ西川康廣助祭


 今日の福音はペトロの召命の話(ルカ2.1-11)です。日本では今年1月2日に『ご公現』を祝ったが、ローマ典礼では、神が天地創造時に人間を6日目に造られたことに鑑み、1月6日に『ご公現』を祝います。主の公現は、救い主キリストがお生まれになったことを、近くユダヤ人だけではなく、遠く異邦人にも告げ知らされたことを祝います。そして(第2の主の公現)と言われるのが『主の洗礼』の時です。心から悔い改めを願い、荒れ野へやって来た群衆の中にイエス・キリストがいます。そしてイエスが洗礼者ヨハネの洗礼を受けた後でヨルダン川から上がると、天が開け、父である神は“これはわたしの愛する子、わたしの意に適う者”と群衆にイエスを紹介しました。そして敢えて(第3の主の公現)と言えるのが、私たち一人ひとりの召命への歩みにおいて言えるのではないでしょうか。人生のある時期が来ると主はわたしたちに現れて、ある人は結婚の召命へ、ある人は司祭・修道者の召命へと招かれます。この道は神のご計画に従って導かれます。「あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネ15.16)と。

 今日の福音書でペトロはイエスと出会う前、一晩中漁をしても何も獲れませんでした。ペトロの心の内を想像すると、今日の生活の糧を得ることができなかった不安と恐れに囚われています。この不安と恐れから解放されたく、藁にもすがりたい思いだったに違いありません。そんなペトロに救いの手を差し伸べたいイエスの思いと、ペトロの救いを求める叫びが呼応し合い、イエスとの出会いとペトロの救いへの思いが実現しました。大量の恵みを頂いたペトロは全てを捨ててキリストに従い、希望の内に弟子となるための旅に出掛けました。星に導かれてベトレヘムの貧しい馬小屋で、布にくるまれ、飼い葉桶に寝かされていた救い主イエス・キリストを探し当てた学者たちではあったが、おそらく帰り道は星の導きもなく、不安な思いで国へ帰って行ったことでしょう。私たちの信仰の旅路も同じことが言えるのではないでしょうか。だからこそ祈りが必要です、「マラナタ(主よ、来てください)」と、そして「あなたの息を送ってください、すべてが新たになるように」と。

 イエスは日々私たちの所へ来て、キリストとの交わりとそのいのちの喜びを与えてくださいます。パウロも語っています、「イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」(ロマ8.39)と。キリスト者の召命とは、生涯イエスの弟子であり続けること、これ以外の何ものでもないことを改めで覚えたいものです。

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