ウィークリー・メッセージ 2022年7月31日
ある兵士の祈り
井原彰一神父
今年の3月に入って突然思いもかけないニュースが飛び込んできました。ロシアが突然ウクライナに進攻したというのです。1人の老婆が疲れ果てた顔に涙を流しながら叫びました。「人類は2度も世界大戦を繰り返してしまい、広島、長崎で20万人もの人の命が奪われたのに、21世紀になってまだ同じような事を繰り返すのですか。何と愚かなことを?」
今日の主日の朗読の中でコヘレトは言います。「コヘレトは言う。何という空しさ。何という空しさ、すべては空しい。知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、全く労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸な事だ。まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ」。コヘレトはこの世の空しさ、儚さに眼を向け人生の意味を問い詰めます。
ロシア人とウクライナ人は民族的に近い民族ですし、言葉も似ています。それぞの首都はモスクワとキエフですが、距離にして865キロ(東京と広島位の距離)しか離れていないのです。そんなに近い国同士なのに、何故民間人も巻き込んで殺し合うのでしょう。そこには歴史的に深い理由があるのだと言う人もいます。
ナポレオンもヒットラーもモスクワに進攻したのも事実ですし、ロシア人はパリにもロンドンにも進攻していません。しかし、人間は歴史に学ぶことができる存在です。戦争をしても、不幸が広がり人間は不幸になるだけであることを。
戦争が起きてしまった時、信仰者である兵士はどのように祈るのでしょうか。ロシア人の兵士は「神よ、我らに勝利を与え給え」と祈り、ウクライナ人の兵士も「神よ、我らにこそ勝利を与え給え」と祈るのでしょうか。
ここである兵士の祈りを記します。
「私の願い」-ある兵士の祈り
成功するために神に力を願いましたが
与えられたのは謙虚さでした
従うことを学ぶために
善行をするために健康を願いましたが
与えられたのは病気でした
より善い行いをするために
人から尊敬されるために能力を願いましたが
与えられたのは弱さでした
神を必要とするために
人生を楽しむために
すべてのものを願いましたが
与えられたのは命でした
すべてのものに感謝して生きるために
私が欲したものは
何も与えられませんでしたが
声にも出さなかった祈りが聞き届けられ
私はだれよりも豊かで
祝福された人間となれたのです
作者不明
ある兵士が病院の壁に書きつけた祈り
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